知る人ぞ知るシティポップの先駆者の一人
かれこれ5年ほど前から今もシティポップブームで盛り上がっていますが、そのパイオニア的存在とも言えるのではないかと言うことで今回は”濱田金吾”さんをご紹介します。以前に浜田省吾さんをご紹介しましたが、そのハマショーさんと名前が似ていたため「ハマダといえば、キンゴで〜す」というコピーを付けられたこともあったそうです。なのでこのエッセイではご本人に断りもなく”金吾さん”という呼び方で書かせていただこうと思います。
金吾さんは1953年生ということですでに70歳オーバーですが、今も精力的に活動されているようです。小学生から続けてきたバイオリンをギターに持ち替え、その後はいろいろなグループに参加しながら楽器もギターやドラムなどを担当されました。1974年には「クラフト」というフォークグループでプロデビュー。ベース兼ボーカルを担当し、さだまさしさん作詞作曲の『僕にまかせてください』や『さよならコンサート』などをヒットさせました。
その後クラフトは1978年に解散し、金吾さんは作曲家として本格的に活動を始めます。そして1979年には山下達郎さんとともに「AIR RECORDS」の設立に参加し、ソロ活動を開始しました。
1970年半ば後半から日本のミュージックシーンが大きく変化
ちょうど1970年代後半からポップなフォークソングを「ニューミュージック」と呼ぶようになり、洋楽のテイストを散りばめたちょっとオシャレな楽曲が徐々に増えだしました。それが今日呼ばれている「シティポップ」なのかなぁ~、とボク的には受け取っていて、1970年後半から1980年初頭あたりが日本のポップスが大きく変革した時期だったように思います。
それまでの歌謡曲、演歌、フォークソング、グループサウンズなどといった大きな括りから、さらにロックやポップス、ジャズなど、海外の影響を受けたジャンルがどんどん増えたのがちょうどこの時期だったのではないかと思います。1976年には山下達郎さんがソロデビューしたり、以前にご紹介した1978年から活動しはじめた「YMO」によりテクノポップという新たなジャンルも生まれ、ホントに新しい音楽がドンドン耳に入ってきました。昨今のシティポップの引き金的楽曲である松原みきさんの『真夜中のドア~Stay With Me』も1979年リリースです。
ボクにとっての金吾さんと言えばやっぱりデビュー曲の『MAY SICK』
そういう時期に出会ったのが濱田金吾さんの『MAY SICK』という曲でした。この曲を初めて聴いたのがいつだったかは定かではありませんが、おそらく高校の終わりか大学に入った頃の1981~82年だと思います。フォークソングでもなく、歌謡曲でもなく、ゴリゴリのロックでもない楽曲で、都会の香りがするポップスかなぁ~、と思いながらこれをきっかけに金吾さんのアルバムを聴くようになりました。
ではその1980年1月21日リリースのデビューアルバム「Manhattan In The Rain」から同日リリースのデビューシングル『MAY SICK』をお届けしたいと思います。
ココでは公式サイトからちょうどコロナ禍の2021年2月にアップされていたものをピックアップしました。冒頭ではコロナ禍の厳しい状況を語っておられます。楽曲は4:19から始まります。
1985年のアルバムジャケットは”わたせせいぞう”さんのイラスト
1985年は3月に「ハートカクテル」、10月に「Fall in Love」という2枚のアルバムをリリースされています。この2枚のアルバムジャケットは”わたせせいぞう”さんのイラストが採用されています。わたせせいぞうさんは1983年に漫画「ハートカクテル」の連載を開始し、1986年にはアニメ化とドラマ化されています。
1980年代はとにかくこういったイラストが流行った印象が強く、レコードや雑誌を飾ることが多くありました。以前にも山下達郎さんでご紹介したアルバム「FOR YOU」のジャケットやFM雑誌の「FM STATION」の表紙を手掛けた鈴木英人さん、大瀧詠一さんの「A LONG VACATION」を始めサザンオールスターズや松岡直也さん、杉山清貴さんなど多くのジャケットを手掛けた永井博さんなども有名ですね。
長年多くのミュージシャンをサポート
ソロ活動と並行して、竹内まりやさん、西城秀樹さん、光GENJIなど、多くのアーティストに楽曲を提供したりプロデューサーとしても活躍されました。ボク自身知りませんでしたが、2001年からは村田和人さんと松下誠さんとで結成した「Moon Kids」というグループでライブ活動をされていたそうです。
海外でもカバーされています
4~5年ぐらい前からのシティポップブームの流れで世界的に『街のドルフィン』などの楽曲が注目され、Youtubeを見てるとビックリするぐらいいろいろな国の方々がバンドでカバーしたりベースだけをカバーしたりといろいろ。皆さん、ホントに上手に日本語で歌ってくれてますね。
2021年3月のライブダイジェストをシェアさせていただきます。動画の前半はリハーサル風景で0:55からは『街のドルフィン』なので聴いてみてください。
ノスタルジックなポップスは永遠かなぁ~
個人的に思うことは、ブームに左右されずにいつ聴いても新しくも古くも感じないスタンダードなポップスはズッと残っていくのではないかと。そういう楽曲を提供されてきた金吾さんは今日の日本のポップスにおいても重要なおひとりだと思っています。ぜひ一度ライブにも行ってみたいと思います。
では最後に『WASTED SUMMER LOVE』というスローバラードをお届けします。
あらためて素朴な疑問:ところで「シティポップ」って?
上記でも少し触れましたが「シティポップ」っていう言葉ができたのはいつなのかが気になったのでちょっと調べてみましたが、いろいろな説があってなかなかコレっという風には言えないのかもしれません。
簡単に要約すると1970年代にフォークやロックの進化系が「ニューミュージック」と呼ばれるようになり、さらに「洗練された都会的なニューミュージック」をシティポップと定義づけたという流れのようです。つまり「70年代後半から80年代にかけて登場したオシャレで都会的な音楽」といった感じなんでしょうか。この頃のサウンドは海外の楽曲のオマージュも多く見られ、大きく影響を受けていることがわかりますね。
80年代頃の男性では今回の濱田金吾さんを始め、山下達郎さん、角松敏生さん、山本達彦さん、安部恭弘さん、稲垣潤一さん、杉真理さん、南佳孝さん、杉山清貴さん、崎谷健次郎さん、黒住憲吾さんなど、女性では杏里さん、竹内まりやさん、亜蘭知子さんなど、がこのカテゴリーに入るのかと思います。(もちろんまだまだ他にもたくさんおられます。)
ボク個人的には「アーバンシティポップ」と「リゾートシティポップ」っていうのがあり、前者は都会的でかつ夜のハイウェイやネオン街を彷彿させるようなイメージで、後者はその名の通りリゾート、特に海に似合うようなイメージの楽曲ですね。
いずれにしても「ジャパニーズAOR≒シティポップ」っていう感じなのかなっと。ではまた上記のアーティストの皆さんも順次ご紹介したいと思います。