クインシー・ジョーンズ(Quincy Jones)『愛のコリーダ(1981年)』File0132

1980年代

【 訃報 】2024年11月3日、91歳で永眠されました

ボクと同じアラ還世代で洋楽を聴いていた方ならほとんどの方が知っていると思います。アメリカを代表する音楽界の巨匠でしたので、特にディスコなどダンスミュージックが好きな方ならマストのアーティストでしたね。ホントに多くの良い楽曲を届けてくれました。ボクにとって若い頃のブラックミュージックはクインシー・ジョーンズが必ず関わってたような気がします。

ホントに心よりご冥福をお祈りいたします。

クインシー・ジョーンズの代表曲『愛のコリーダ』

クインシー・ジョーンズクレジットでボクらの世代での代表曲といえば『愛のコリーダ』なのかなぁ~と。1980年にChas Jankel(チャス・ジャンケル)がリリースしましたが、翌年1981年にクインシー・ジョーンズがカバーして大ヒット。ソウル・チャートで最高10位、ビルボードHot100でも最高28位、イギリスでも最高14位を記録しました。日本ではオリコン洋楽シングルチャートでは1981年7月6日付から12週連続1位を獲得し、同年の年間チャート1位なのでこの頃に洋楽を聴いていた方なら誰もが知る曲です。

ただ個人的にはこの曲がチャス・ジャンケルの楽曲だったとはビックリ!チャス・ジャンケルというアーティスト自体は『Grad To Know』という曲がよくディスコで流れていたので知っていましたが、『愛のコリーダ』がまさか彼がオリジナルだとは知りませんでした。

From martin:
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ちなみに余談ですが、昔は「Chas(チャス)」でしたが、現在は「Chaz(チャズ)」に変わってるようです。ボクは「チャス」に慣れていますのでこちらで表記させていただきました。

まずはその1981年リリースのアルバム「The Dude」から『愛のコリーダ』をお届けします。このアルバムはよく聴きましたね。ちなみにこの曲のタイトルは1976年に公開された大島渚監督の日本とフランス合作映画『愛のコリーダ』の日本語名から取られているとのことです。

クインシー・ジョーンズの功績を振り返ってみる

クインシー・ジョーンズのキャリアを振り返ると70年以上という1950年代まで遡ります。ボクもサラ・ボーンやフランク・シナトラなど名前は知っていますが正直その時代はよくわからないので、申し訳ありませんがその時代は割愛させていただき、70年代以降にスポットを当ててみたいと思います。

とにかく音楽ジャンルの垣根を超えての多くのアーティストとのコラボや映画音楽を手掛けるなど幅広い活躍とともに多くの賞も受賞しました。

1978年のアルバム「Sounds…And Stuff Like That!」ではチャカ・カーン、ルーサー・ヴァンドロス、パティ・オースティンなどをフィーチャー。そして上記の『愛のコリーダ』が収録されている1981年のアルバム「The Dude」ではパティ・オースティンやジェームス・イングラムなどが参加しています。とにかくそうそうたるアーティストがクインシー・ジョーンズによって排出されていきました。クインシーファミリーはすべてボクの好きなアーティストです。

その中から残念ながら2019年に他界した「クインシーの秘蔵っ子」とも言われたジェームス・イングラムをフィーチャーした「The Dude」に収録されている『Just Once』をお届けします。ちなみにジェームス・イングラムはパティ・オースティンとのデュエット曲「ベイビー・カム・トゥ・ミー」では初の全米1位を記録しています。

マイケル・ジャクソンはクインシー・ジョーンズがいたから飛躍した!?

クインシー・ジョーンズが関わったアーティストは上記以外にも、バリー・ホワイト、アレサ・フランクリン、ザ・ブラザーズ・ジョンソンジョージ・ベンソン、シーダ・ギャレット、エル・デバージ、テイク6、ドナ・サマーなどなど上げればきりがないほどですが、何と言っても外せないのはやっぱり「マイケル・ジャクソン」でしょう。

クインシー・ジョーンズが手掛けたマイケル・ジャクソンのアルバムは「Off The Wall(オフ・ザ・ウォール)(1979年)」と「Thriller(スリラー)(1982年)」、「Bad(バッド)(1987年)」で、その中でも「Thriller(スリラー)」は今でも約7000万枚〜1億枚と推定され史上最も売れたアルバムとしてギネスに残っているそうです。

その頃はまだ個人的なパソコン(俗に言うPC)がない時代でテレビとラジオだけが音楽の入手ソースとなったいたため、MVが流行りだしたときは深夜まで起きていてMVが見れる1981年に始まった小林克也さんの「ベストヒットUSA」を観たり、あとは音楽喫茶に通ったものです。当時ボクは大阪にいましたので、わざわざ電車に乗って梅田の「キューピッド」というRock喫茶に行っていろんなアーティストのMVを観ていた記憶があります。

クインシー・ジョーンズがプロデュースしたこのマイケルの3部作はどれも好きなのですが、個人的には「Off The Wall(オフ・ザ・ウォール)(1979年)」が結構気に入ってます。ではその中からボクの好きな『Rock With You』をお届けします。ちなみにこの曲はクインシー・ジョーンズの1995年のアルバム「Q’s Jook Joint」でBrandyとHeavy Dによりカバーされました。またAshanti(アシャンティ)もカバーしており、まさにAshanti風に仕上がってます。マイケルバージョン(1979年)とアシャンティバージョン(2003年)をご紹介しますので聴き比べてみてくださいね。

From martin:
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2004~2005年頃は「Q’s Jook Joint」のBrandyバージョンを携帯電話の呼び出し音にしていたので、この曲のイントロを聴くとドキッとしてしまいます。(笑)

誰もが知る『We Are The World』

1985年にアフリカの飢餓救済のためスーパースター級のアーティストが集結し「USAフォー・アフリカ」としてリリースした『We Are The World』はマイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーの共作でクインシー・ジョーンズがプロデュース。参加アーティストは45組にも登るとのことです。この時代の音楽を聴いていた方なら7割以上は知ってるアーティストだろうと思われるほど豪華なキャスティングでした。この画像の顔ぶれを見て誰かがわかる方は70~80年代の洋楽に詳しい方でしょうね。

久石譲さん、実はクインシー・ジョーンズだった!?

ちょっとした余談で話がガラッと変わりますが、久石譲さんをご存知でしょうか?

久石譲さんは幅広く音楽業界で活躍され、その中でも映画音楽でジブリと言えば久石さんというぐらいで、宮崎駿監督作品の音楽を39年間手掛けてこられました。

その久石さんの名前です。ボクも今回始めて知ったのですが、久石譲さんという名前はペンネームで大学時代に活躍していたクインシー・ジョーンズの名前(ク=久、インシー=石、ジョーンズ=譲)をもじり漢字に当ててつけたのだそうです。ぜんぜん知りませんでした。ご本人も今回の件に関して「音楽を豊かにしてくれてありがとう」とのコメントを出されています。

簡単には語りきれない業績の数々

上記のようにピックアップしましたが、何かと業績や話題が多くてまだまだお伝えしたいことがいっぱいあります。しかしながら申し訳ありませんがそちらについてはいろんなサイトにアップされたますのでチェックしてみてください。コラボしたアーティストについては順次ご紹介していきたいと思います。

とにかく今言えることは、「ありがとう!」のみです。それ以外はありません。とにもかくにも本当に心より感謝の気持とお疲れ様でしたを伝えたいと思います。

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