”80年代ポップスがスゴかったのは?” をさらに深堀り、70年代に活躍したアーティストをピックアップしているシリーズ第5弾は「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」です。
70年代後半はデジタルミュージックの黎明期
「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」は細野晴臣さん、高橋幸宏さん、坂本龍一さんの3人で1978年に結成されたシンセサイザーとコンピューターを駆使したテクノポップグループで、これまでのロック系からガラッと毛色が変わり、その時代のテクノロジー満載で衝撃的でした。細野さんははっぴいえんどやティン・パン・アレーを経て、高橋さんはサディスティック・ミカ・バンドを経て、坂本さんと合流。YMOは音楽だけでなく、ファッション分野などでも一つのブームを巻き起こしました。なかでももみあげをスパッと剃り落とす「テクノカット(ボクらは”まことちゃんカット”とも呼んでました。)」はその象徴でした。
デビューアルバムはアメリカでもリリース
1978年のデビューアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』は、若干の手を加えられアメリカでもリリースされました。その中の「東風」はタイトル変更され、「Yellow Magic(TongPoo)」となりました。まずはその曲からシェアします。
2ndアルバムは海外で評判、その勢いで日本にも大ブームが起こる
70年代の名盤の一つとしてあげられるのが2ndアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー(1979年)』です。海外で大きな評判となり、その勢いで逆輸入的な形で日本でもブームとなりオリコンチャート1位を獲得。そのアルバムから1980年6月に2ndシングルとしてリリースされた「RYDEEN(雷電)」をお届けします。オリコンでは15位ですがYMOの代表曲の一つでもあり、馬が走る音を表現したイントロから始まります。
同じアルバムからもう1曲、富士フィルムのカセットテープのCMに起用された『テクノポリス』のMVもシェアします。先ほどご紹介した「RYDEEN(雷電)」以外も数パターンCMに採用されていました。
実はもうひとりいるYMOの影のメンバー
そしてこのサウンドを支えていたのが、4人目のYMOと呼ばれている「松武秀樹」さんです。”タンス”という愛称で呼ばれていたモーグ・シンセサイザーなどをコントローされていました。当時は、温度や湿度管理がメチャ大変だったそうです。
これらの音楽はすべて今から40年以上も前のものです。音色一つ作るにもシンセサイザーで微調整しながらの作業。時代背景で言うとスペースインベーダー、スターウォーズなどが流行した時代で、パソコンや携帯電話もまだ普及していませんでした。
あの名器と呼ばれる「ヤマハDX7」でさえ5年後の1983年発売ですから、いかにスゴかったかがおわかりいただけると思います。海外でもテクノポップというくくりでいうと、70年代からドイツの「クラフトワーク(映画「ブレイクダンス」のエッセイ参照)」やアメリカの「ディーヴォ」は同様の電子音楽グループとして人気がありました。
おわりに
現在はテクノロジーが飛躍的に進歩し、スマホひとつあれば音楽も情報も簡単に入手できるようになりましたが、30年後の2050年頃はどんな世の中になっているんでしょうか。想像もつきませんね。
最後に1980年(約10分)と2003年(約24分)のYMOのドキュメンタリー映像があったのでシェアします。いつまで見れるかわかりませんが、ご興味あればご覧くださいね。